創立40周年記念事業として建立した万葉の歌碑
創立40周年記念事業として建立した万葉の歌碑

万葉の歌碑わきにある説明板

調布市は地形上武蔵野台地の南縁部に位置しており、武蔵野段丘からなる雛壇上の地形は、調布の歴史の有様に常に大きく関わっております。そして、目の前を流れる多摩川は、まさに調布の文化を生んだ「母なる川」といえるでしょう。次に掲げる万葉集の二種は調布の風土を歌った代表すべき歌ではないかと思います。

多摩川に さらす手作(て(た)づくり) さらさらに 何ぞこの児の ここだ愛(かな)しき

万葉集 東歌 巻十四 読み人知らず

多摩川畔の古代の農村では調(貢物)として手作(手織)の麻布が多く貢納され、その貢納の布を白くするために、清流に洗い日にさらすのは、農村の女性の共同の仕事でした。その「サラス」の音にかけて“サラサラニどうしてこの娘がこんなにもたまらなく可愛いのか”とうたっているのです。生活環境と古代多摩川の郷土色を反映させた真情に躍動を見せています。

赤(あか)駒(こま)を 山野(やまの)に放(はな)し 捕(と)りかにて
多摩の横山 徒(かし)歩ゆか遣らむ

万葉集 巻二十-四四一七 防人椋橋部荒虫の妻宇遅部黒女

天平勝宝七年(七七五)二月防人交替のときの、武蔵国豊島群出身の防人の妻の歌であります。防人は九州、壱岐、対馬の辺要を守る兵士で、当時、東国から徴集され、三年交替で、国々の役人に引率され、難波津に集結し大宰府に送られます。当時、防人は馬で行くことを許されていたので、遠い旅路をせめて馬で行かせたいという妻の心であったが、折から放牧時期であったため赤馬を山野に放しているのが捕まらず、多摩の横山の道を歩いて行かせねばならなくなったという妻の嘆きの歌であります。(犬養孝氏の解説引用)

調布市には古代より様々な歴史が刻まれた足跡が残っております。東京調布ロータリークラブは創立四十周年記念事業として万葉歌碑を建立し、少しでも多くの人たちが調布のことを知り、ふるさとに対する愛情を持っていただけることを願っております。

東京調布ロータリークラブ贈
平成十五年十一月十日

万葉の歌碑ができるまで

東京調布ロータリークラブは、創立40周年記念事業として建立を計画しまた。
建立にあわせて、平成15年7月から8月にかけて、調布市内の公私立中学2年生を対象に「調布の風物」というテーマで創作和歌の募集をしたところ、1,634人から2,685首の応募がありました。

最優秀作品(1点
「かやぶの 山内入れば 深みどり 古き仏を 包む静けさ」
宇野芙美(桐朋女子中学校)

その他優秀作品(11点)が選ばれました。
除幕式は、平成16年3月27日(土)に100余名の関係者が集い盛大に行われました。中学生の短歌表彰も同時にあり、除幕式色を添えました。
この歌碑のある場所は天気が良ければ、富士山も望める景勝地でもあります。